「普通の生き方」にこだわる必要はありません
こんにちは!
あおぞら整体院代表の渕脇です。
普通の生き方から離れている人々
整体師という仕事をするようになってから、クライアントをはじめとして人に会う機会が多いのですが、つくづく世の中にはいろんな人がいるなあと感じます。
私の父は教師でした。
母は教師の娘で、親戚は教師が沢山。
私はそういう環境で育ちました。
私が育った時代背景などもあるとは思いますが、私は、「人としてこうあるべき」というような、理想形を教え込まれて育った気がします。
いわゆる「正社員(正規雇用者)になって安定収入を得て、家族を養う。」というような。
これは、教師の家庭じゃなくても、そういう教育を受けている人は多いと思います。
それが普通で、常識だから。
でも、この常識がから外れている人が想像以上に多いということを、最近は実感しています。
私には、想像のつかない生き方をしている人が沢山いるのです。
沢山の人に会えば会うほど、一人ひとりの生き方の違いにびっくりします。
自分の持っている常識なんて、本当に役に立たないものだなあと思います。
普通って、一体なんだろうかと思いますね。
思考を柔軟にする
私は今年60歳になりますが、この歳になって自分の柔軟性が増していくのが分かります。
若いころの私は、事あるごとに勝手に審判(ジャッジ)をしていました。
あれは間違えている、これが正しい。
そんな風に。
自分の普通(常識)に照らし合わせて。
でも、世の中にはいろんな価値観があり、いろんな生き方がある。
いくつかの生き方のパターンがあってその中から選択するのではなくて、これまで誰もしていないような生き方をする、自分だけの生き方を創造したって構わない。
生き方や価値観に良いも悪いもない。正しいも間違いもない。
ただ、好きか嫌いかという好みがあるだけだと。
「自分がどう思われるか」なんてわからない
さらに言うと、これだけいろいろな生き方や価値観があるということが分かってくると、「自分が人からどう思われるかなんて考えてみてもわからない。」ということがわかります。
「こんなことをしたら、人から変な目で見られるのではないか。」
と、他人の目を気にして自分の行動にブレーキをかけてしまうことってあると思うのですが、そんなことを考えること自体がばかげているなあと思います。
人によってとらえ方が違うわけだし、人の考えていることなんてわからないし、予想するだけ無駄なことだなと思います。
そういうふうに考えると、なんだか肩の力が抜けてきます。
やりたいようにやってみる。
やりたいと言ってみる。
すると、それを応援してくれる人に出会うことが出来る。
こういう順番なんだなあと。
それでいいんだなあ、と思います。
自由に生きていこう!
世の中には、本当にいろんな人がいます。
自分も、いろんな人の中の一人です。
もっと自由に、誰にも似ていない生き方をしてもいいんだ。
実感として、そう思います。
人の目を気にする必要なんてないんです。
迷惑をかけるようなことでなければ、どんな生き方をしてもいい。
そう考えるだけで、あー、気持ちいい。
人生楽しくなってきたなあ。