人生の正解はどこにあるのか?
こんにちは。
あおぞら整体院代表の渕脇です。
もうずいぶん前のことになりますが、古い友人たちとお酒を飲んだときのことです。
私の友人たちも、もうだいぶいい年になってきたこともあって、いつの間にか人生についての話になりました。
人生に普遍的な正解は無い
その中で、「なにが正解かって考えるよね」という話になりました。
人生の岐路に立った時、自分はどの道を選択すればいいのか、自分はどう対処すればいいのか、迷う時って必ずあります。
そういう時に、私たちは、「なにが正解なんだろう?」と、正解を知りたくなってしまいます。また、自分が選択しようとしているその道は、はたして正解なんだろうか、と悩みます。
正解を求める心理というのは、おそらく、間違えたことはしたくない、失敗したくないという気持ちから来ているのだと思います。
また、周りから突っ込まれたくない、批判されたくないという心理も働いているでしょう。
正解だったら、失敗することもないだろうし、批判されることもないだろう。
そう考えるのだと思うのです。
ところが、人生の問題には、往々にして正解のない問題が沢山あるのです。
選択肢があるだけで、どれを選んでもそれはその人の自由であって、一つだけが正解ということはありません。
正解を探そうとすると外に答えを求めてしまう
どこかに正解があると思っていると、一生懸命その答えを探そうとします。
ネットなどで検索してみると、それらしい回答が得られることもあるでしょう。
本屋に行けば、それらしい本を見つけることが出来ます。
しかし、それはあくまでも一般論だったり、他人のケースだったりします。
そういう本やネット情報は、確かに役に立つのですが、じゃあ自分はどうすればいいのかということはどこにも書いていないのです。
どこかに正解があると思っていると、その正解らしき答えに自分を無理やり当てはめてしまいます。
それでうまく行けば問題はないのですが、その選択で自分が窮屈な思いをしたり、自分に無理を強いるような選択をしてしまうと、その後、自分の人生が狂ってきます。
そうやって、正解を求め続けた結果、自分を苦しい所に追いやってしまうことになりかねないのです。
答えは自分の中にある
結局、自分が納得のいく選択をするということがとても大切なのです。
人それぞれ、得意なこと、苦手なことが違います。
結局、ほかの誰かさんにななれないし、どこまで行っても自分は自分です。
ほかの人には良かった選択肢が、自分にとっても良いとは限らない。
「なにが正解なんだろう」と考えていると、そもそも正解なんて無いので選べないうえに、どこかの誰かが行った「正解らしきもの」を選んでしまうと、自分を苦しめてしまう危険があります。
さらに、選択した後でも「これでよかったのだろうか」という疑問が常に残ってしまいます。
ですから、最初から、「正解なんてないんだ」と思っておいたほうが良いのです。
自分が最も腑に落ちる、納得できる選択肢を選ぶことが大切です。
結局、答えは自分の中にあるのです。
自分が納得した選択肢を選んだ場合は、「これでいいんだ」という確信を持つことが出来ます。
人がなんと言おうが、自分は自分であるし、自分の人生は自分のモノである。
失敗したら、それは自分の責任だし、そこから何かを学べばよい。
その失敗も、自分の人生の一部である。
そんな風に思うことが出来れば、自分の人生を自分でコントロールできるようになるのです。
自分の人生には自分で落とし前をつける
結局、人生を自分のモノとしてコントロールをしようとすれば、その結果を自分で引き受ける覚悟が必要になります。
自分の人生が思うようにならないのを、誰かさんのせいにしていると、自分の人生をコントロールできなくなります。
正解を求める心理の裏側には、もしかしたら、自信の無さ、自己肯定感の低さが潜んでいるかもしれません。
誰かの顔色をうかがい、人からの批判を恐れ、失敗を恐れる心理が働いている。
そのままの状態では、自分の人生を自分のモノであると感じることはできないでしょう。
自分の人生に自分で落とし前をつける覚悟があれば、正解を求めることなく、自分の納得のいく選択をすることが出来るようになるのです。
人生に正解はありません。
ただ、選択肢がそこにあるだけなのです。